西野竜平の脳壊ブログ

イラストレーター/音楽講師/PC講師をしている黒子「西野竜平」が制作した創作物の紹介や、日常のあれこれなどを呟く雑多ブログです。

自分という存在は他人がいて初めて映る虚像である。

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西野竜平

 

 自分のやりたい事が沢山あってあれもかれもが中途半端なしっちゃかめっちゃかな西野竜平です。今年中に整理が出来ればと思います。

 

 そういえば、「自分らしさ」って聞いたことありませんか。あの言葉ってなんなんでしょうね。何の意味も無いって思いませんか。

 

 どっちかっていうと「自分らしさ」を「自分さらし」とアナグラムで解読している人はいませんか。

 

 自分さらし真っ最中な私が言うのも何ですけど、そもそも「自分」という存在は、存在しないと思うのです。

 

 よく仏教とかで「無始無終 (無に始まり、無に終わる)」みたいなのって結局そこなんじゃないのかなって思うんです。

 

 「自分」っていう存在は「無」だと思うんです。「自分らしさ」を追い過ぎるが故に最終的に悲しくなって、空しくなって、気分が落ち込んでしまうのだと思うのです。そもそも「自分らしさ」なんて無いんです。

 

 ただ唯一、「自分」っていう存在が確認できることがあって、それは、「他人」がいて初めて「自分」を確認することが出来ると思うのです。

 

 「この人みたいになりたいなぁ」

 「この人みたいになりたくないなぁ」

 

 「これは良い事なんだ。わたしもやりたい」

 「これは悪い事なんだ。わたしはやらない」

 

 こういう判断基準は全て他人から受ける物で、そこをどう取捨選択するかで、「自分」という物が形成されていくと錯覚を起こすと思うのです。

 

 元々は、誰かが居て、自分がいる。みたいな錯覚状況なのに、「自分」は「自分」として極度な錯覚に陥るから、皆辛くなると思うのです。

 

 元々すべては「無」である。と考えれば、悩む必要なんて、ないんだぁあ。にしの。

 

 私はこれをこの間諭されてからだいぶ気持ちが楽になりました。皆さんにも、と思いお裾分け出来ればな、って思います。

 

 今日も良い一日を。