西野竜平の脳壊ブログ

イラストレーター/音楽講師/PC講師をしている黒子「西野竜平」が制作した創作物の紹介や、日常のあれこれなどを呟く雑多ブログです。

「習うより慣れろ」じゃなくて「習うより学べ」だと思う。

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西野竜平

 

 どうも、地元で音楽とパソコンの講師をさせて頂いている勉強熱心な西野竜平(@ryuheidou)です。

 

 よく幼稚園から大学・専門はたまた社会とかで「出来る人と出来ない人」みたいなカテゴライズをする人が良くいますが、多分それは言葉が違っていて、「学ぶ人と学ばない人」が正しいと思うのです。

 

 「習うより慣れろ」という言葉は、最近の「闇営業」みたいな誤解を生みやすいのではないかなと思うのです。

 

 本来「闇営業」とは「事務所を通さないで行う営業」の事であって、「闇社会と仕事をする」ではないのです。

 

 それと同じように、「習うより慣れろ」とは「習う事に慣れる」事ではなく、「人や本、またはメディアから教わるより、自ら練習・経験を重ねるべきである」という意味です。

 

講師としての経験上の話

 私の講師としての経験上、「自ら進んで学び、復習や応用をしてくる子」の才能や能力の伸び率は半端ではないです。スバ抜けた「天才」かと思う程です。

 

 一方、習うだけ習って、習い事の復習なりとを家で何もしない人は、全く伸びていない様子です。ましてや言った事すら覚えていない人が殆どです。

 

 では何故この様な事に陥るのか、考えてみました。

 

一部の生徒の姿勢(例)

  1. 「習っている」「習わせている」から大丈夫という謎の安心感。
  2. 嫌々習わされているからやる気が無い。
  3. 学ぶという姿勢を理解できていない親のしつけの問題。
  4. 「自分は特別だからこの特別な授業を受けている」という建前目的。

 

 

 1番目は、親御さんにも生徒さんにも見受けられます。「自宅でしましたか?」「判らない事がありましたか?」「ここをやってきてくださいね」これらを全部笑って誤魔化されるのです。

 仕舞には、「習ってない」「聞いてない」とマニュアルに沿っているのにも関わらずに攻めてくる強者も居たりします。

 

 2番目と3番目はもう講師としてはどうしようもないですね。「早く終わらせたらどう」とか、「これを学んだらこう」とかのメリットとデメリットを毎回優しく諭す時間が授業の最初に費やされて本当に勿体ないです。

 実際私も小さい頃は「勉強なんてダセーよな!プレステしようぜ!」って感じだったので子どもの気持ちも判ります。しかし、こればかりは親御さんに躾をしてもらわない限り講師の人たちではどうしようもないです。

 

 

 4番目は専門学校生とかに多い印象です。美大生とかはどうなんでしょうね。

 

「目指していた学校に入れた!ゴール!」っていう安堵感なのか、

 

「趣味や目標が同じ人がいてたのしぃ!わっはっは!」っていうドミノ式共倒れというか、仲間を見つけて遊びまわって、本当のゴールを忘れてる人とか。

 

 あとは、今どき珍しくない目的意識で「趣味と時間を買う」っていう賢い人もいます。なので「学びましょう」「本当のゴールはどこですか?」なんてのは一概には言えないのです。

 

「習うより学べ」より「学ぶより好きであれ」

 勉強を続けて、大学へ行って卒業資格を取って、就職または企業をすれば「人より裕福な生活を送れる」という至極当然の日本の事実であると思います。「習う」だけを続けてきた人と「学ぶ」を続けた人とでは差が大きいと感じています。

 

 「習うより慣れろ」ではなく、「習うより学べ」という姿勢を意識する事。これが大事な事だと思います。

 

 私は、偉そうにこういう話を出来る人間ではありません。私は高卒です。大卒でも短大卒でも、専門卒でもありません。

 

 しかし、「学ぶ」を続けたお陰で、普通でしたら講師の採用は大卒のみのはずが、高卒の私が音楽講師とパソコン講師になれたのです。

 

 ただ、「習うより慣れろ」「習うより学べ」よりも最上級の段階があって、それは「学ぶより好きであれ」です。「好き」という気持ちがあれば「学ぶ」という意識が無いのです。「好き」な事をひたすらやっていたら、魔法の様に不思議と出来る様になる事です。

 

 なので、私の結論として、「習うより慣れろ」ではなく、「習うより学べ」

 

 また、それを越えいという気持ちがあるのであれば「習うより学べ」ではなく、「学ぶより好きであれ」だと思います。

 

 学ぶ事が好きなのも良し。好きな事が好きであれば良し。という事だと思います。

 

 人生は学ぶ事の連続です。たくさんの事を好きになりましょう。